このたび、承認欲求に対する見解を発表することとした。
なんか緊張してきたな(~_~;)。
かしこまらずとも好い。禅の教えは「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」であるのだから。
脱力、脱力っと。ハッハッハ。
では、いってみよう、やってみよう。
人間誰しも、認められたい、ほめられたい、愛されたいという承認欲求があるものだ。
これはいいものだ。これでいいのだ!
しかし、承認欲求を満たすための目標は立てない方がいいとオジサンは思った。
世間から、周囲から、ちやほやされたいから有名になりたいとか、金メダルを獲得したいとかいう目標は立てない方がよろしい。
これは他者に依存しており、他者が思惑通り、賞賛してくれるとは限らない。
期待が外れたら、期待した分だけ落胆することにもなろう。
そのうえ、いくら素晴らしい偉業を達成しても、必ずケチをつけてくる人が現れる。
賛否両論が常なのだ。
YouTubeのコメント欄を見れば分かる。
この上なく素晴らしい内容の動画でさえ、けなすようなコメントをする人がいる。
人の世は世知辛い、辛辣なのである。
大体、ほめる人は、めったにいないし、生きていれば、批判されることばかり、注意されることばかりなのだ。
オジサンも親から、褒められることなく、けなされてばかりいながら育ったため、ほめられたいという承認欲求が満たされることなく、そのままにきてしまった。
子どものうちや、若い頃までは承認欲求を持っていてもかまわないが、いい歳をした大人の男であるならば、褒められよう、認められようなどという甘い考えを捨てるべし。
こんな事があった。
義父が、ある時、コンクールで賞を取って、賞状を見せてきた。
どうだ?すごいだろうという面持ちで、ドヤ顔で、したり顔で見てきた。
一応は褒めたが、内心は「賞状だね。( ´_ゝ`)フーン。だから、何⁇」という思いで占めていた。
80年も生きてきてるのに、まだ褒められようとしているのか、この人は、と思った。
まあ、いいけどね。
クールで、かっこいい大人の男の在り方は、承認欲求を捨ててしまえ、だ。たとえ、承認欲求を持っていても、人からほめてもらおうというそぶりを見せるな☆彡
《自分がしてほしいことを、相手にせよ》、なのだから、褒められたい人は、相手を褒めましょう、ほめちぎってあげましょう、ということだなあ。
でも、見返りを期待しないで無欲でやることだなあ。
ハッハッハッハッハッハッハッハッハ。ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハ。