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外国人が書いた本で、『ギヴアンドテイク』という本がある。
日本語に訳すとなんだろう?
「与えると受け取る」だな。
この本では、3種類の人間がいると書かれているらしい。
その3つとは、「ギバー」・「テイカー」・「マッチャー」というらしい。
「与える人」「奪う人」そして「両方とも程よく中和している人」という意味だ。
この中で一番成功するのは「与える人(ギバー)」であるとか書いてあったような。
ほんとかな?
にわかに信じられへん!
ずっと歴史は、正直者が馬鹿を見る、を繰り返してきたのだ。
ずるくて、悪い人が、支配して得をしてきたのだ。
要領よく、計算高く立ち回る人間が賢いとされてきた。
オジサンは、『愚直な人』と評されたことがある。
辞書を調べたら、馬鹿正直なことと書いてあった。
また、馬鹿正直を調べたら、正直すぎて氣がきかないこと、と書いてあった。
そんなことはない。
オジサンはよく、うそをつく。
ただし、噓だとすぐわかる、噓をつく。
つらつらと人に説明するのが、めんどくさい時に、話が長くなって、まどろっこしい時に、さっと一言で済ませたいときに噓をつく。
噓をついているという感覚よりも、適当に答えてまーすという感覚だな。
話が、それたな。
今までの時代は、強いもの勝ちで、早い者勝ちで、またさらに権力がある者が利益を得て、成功してきた。
今までは確かにそうだった。
だが、これからの時代はどうなるのか分からない。
今の時代は、「風の時代」とか「水瓶座の時代」に移行したらしい。
つまり、新しい時代がやってきたということ。
はやく、真面目で善良な人が、報われる世の中になるといいなあと思う。
善とは何か⁉
答えは簡単だ。
それは、他人のためになることをすることだ。
自分のためにする時、いい人だなあという風にはならない。
例えば、おぼれた人を助けたら、市から表彰されたりするだろう。
人のためになることが、善なのだ。
この道理を知らない人が多い。
そして、さらに善を行うというのは、他人にとっては得になり、自分にとっては損になることだ。
平面的に見れば、そういうことなのだ。
人に何かを与えたら、自分の何かを失う、無くなる、減るような氣がしてなんか損してるんじゃないかというふうに思う向きもあるかもしれない。
それによって、人は、けちんぼになるのかもしれない。
物質的には、確かにそうかもしれない。
ところがである。
目に見えない何かを得るのである。
徳が積まれて、人格が磨かれ上昇する、人格が高くなるのである。
人間性が向上するのである。
もし、神がいるならば、自分が他に与えて、空いた空間、真空部分に神の愛がフワーっと入ってくるのだ。
それゆえに、まんざら、与えたり,奉仕することは悪くないねえとなるのだ。
ところが、人間にはエゴが、自我というものが多かれ少なかれ、ある。
与えた分が、それ相当に値するものが返ってこないといかんという風に大多数の人間がそのように考えてしまうし、そういう思いが自然に湧き上がってくるのだ。
頭で損得を考えだすと、到底人に与える人になれなくなってしまう。
ここはひとつ、バカになって、馬鹿みたいに与え続けよう。
何も期待しないで与え続けるのだ。
奪ってばかりの人は、幸せになれないのだと思う。
周りに依存しているのだから、もし、周りに誰もいなかったらどうなるのか?
奪う人は、常に奪うことばかり考える。
ブログ記事が長くなりすぎた。
この辺で締めるか。
与える人と奪う人、さあ、あなたはどっち側になりたいですか?